Aikn5.png・北の大地(オタモイ海岸)

・小樽には景勝地「オタモイ」海岸がある。
・しかし、小樽観光でこの景勝地「オタモイ」海岸を観に来る観光客は少ない。
・小樽のガイドブックにもあまり載っていない。

・今回は、この忘れ去られた景勝地「オタモイ」海岸をご紹介します。


◎ 忘れ去られた景勝地



・「オタモイ海岸」は、小樽市の北部「赤石山」の麓にあります。
・ブルー色の澄んだ青い海に、断崖絶壁や奇岩が続き雄大で圧巻の景観を見せてくれます。

・現在は訪れる人も少ないのですが、昭和初期にはオタモイ遊園地があり多くの人で賑わっていました。

・ここには切り立った崖の中腹に建てられた三階建ての巨大な旅館「竜宮閣」もあって、小樽名所の一つとして知られていた海岸です。

・人々は、断崖絶壁の雄大な景観のもとで食事をしたり海水浴や遊園地で遊んだり、積丹ブルーの海に沈む夕日を眺めて楽しんでいたことと思います。
・記録によると一日数千人が訪れていたと言われています。

・わたしも幼いとき訪れた記憶があり、そのときはもう「竜宮閣や遊園地」も廃墟になってありませんでしたが、断崖絶壁に造られた遊歩道を歩いた記憶がいまでも残っています。



・戦争により閉園した後、終戦後に再開を目指しましたが、竜宮閣が火災で全焼し残念ながらやむなく廃業となりました。

・その後豪雪によ落石も続き、平成26年8月の大雨では崖崩れが発生したため小樽市は、崖崩れの危険があるため遊歩道を閉鎖しました。

・現在は、このミステリアスな魅力を持つ「竜宮閣」跡を見ることはできませんが、軽自動車で断崖の曲がりくねった細い道を通り遊園地跡の広場までは行くことは可能です。

・しかし地元の人は、道が危なくて行くことはあまりないと話していた。



・オタモイ遊園地の創設者は、加藤秋太郎(1869年~1954年)という人です、
・愛知県の出身者で、東京浅草の「蛇の目」寿司の職人とで修業を積み独立。
・その後、朝鮮半島へ渡り店を開いたが儲け話で失敗。挽回すべく樺太に渡る途中立ち寄った港町が小樽だった。

・加藤は、樺太へは渡らずに小樽で寿司店を開業した。小さな店舗であったが、本格的な江戸前寿司は、当時の小樽では珍しく、2年後には2号店を開店させるほどの人気店となった。
・店名を「蛇の目」に改め高級割烹店となり事業は軌道に乗った。

・そんな時、オタモイの廣部幸太郎からオタモイを紹介され、オタモイ海岸の景勝を気に入り、一大観光地にすべく、私財をつぎ込みオタモイ遊園地創設に着手した。

・「オタモイ」とはカタカナ地名です。意味はアイヌ語で「砂の入り江」という意味です。





■オタモイ遊園地の歴史













・小樽市は、札幌にも近く歴史ある北海道の主要な都市の一つです。
・人口は、現在約12万人で減少はしていますが、小樽運河を中心とした観光都市として多くの観光客が訪れています。

・基本的には港湾都市ですが、街はカフェやショップが並ぶモダンな街に生まれ変わろうとしています。旧漁業施設である鰊御殿や歴史的建物も多く、ガラス工芸、オルゴール、酒蔵でなど新しい産業も起こっています。

・観て良し、食べて良し、遊んでも良しの観光都市を目指し小樽市も力を入れているようです。

・しかし、何かわたしには物足りない。
・運河を中心とした倉庫群を取り巻き、観光地域を形成しているようですが「何をテーマ」にしようとしているのかさっぱりわからない、まるで祭りの出店のような雰囲気の街です。

・歴史的建物の周りには、似つかない近代的なビルが建てられたり、運河と倉庫群地域には港の雰囲気はなにもない。

・私なら一度観ればよし、二度目は行かない場所である。
・ぜひ、ヨーロッパの古い港街のような「観光都市小樽のテーマ」を打ち出して魅力ある街をつくってもらいたい。



・積丹ブルー色の澄んだ青い海に、断崖絶壁や奇岩が続き雄大で圧巻のオタモイ景観を観ながら食事や海水浴や遊園地を造った。「加藤秋太郎」は優れていた。

・そして夢を持って実現したが、造った時代が早かった。
・断崖絶壁を車で通るのは、当時の施工技術では無理であった。

・今は200mほどのトンネルを掘れば、積丹ブルー色の澄んだ青い海に、断崖絶壁や奇岩が続くオタモイ海岸に沈む夕日を安全に観ることができ小樽観光の目玉になることは間違いない。

・200mほどの隧道には車は走らせない。電動車で送迎すれば、冬でも沈みゆく夕日を眺めながらニシンの塩焼きでも食すれば幸せである。

・隧道入り口には無料の駐車場をつくり、赤石山のなだらかな傾斜を活用して庶民の「スキー場」でも造れば、きっと小樽市民にも喜ばれ、大いに利用するだろうと夢を描いてみた。




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