縄文人の日本列島(知らなすぎた縄文文化)


・日本列島は、温暖な気候で、山の幸にも海の幸にも恵まれている。
・島国のため外敵の侵入も少なく、日本の縄文文化は、約1万年以上の歴史を持ち日本列島の北から南まで、縄文人たちが暮らしていた。

・しかし、私は北海道の先住民族はと、聴かれたら、それは「アイヌ民族」と答えていた。長い間そう思っていた。

・わたし同様に、多くの日本人も同じく考えていると思う。
・それは、やはり間違いである。

・北海道定住の「アイヌ民族」は、比較的新しく平家が滅びて鎌倉時代が始まる13世紀頃に、北海道に定住した民族らしい。

 -縄文人1の音声-

・北海道は「縄文人」たちが先住民族として、何千年も北海道の島で、長く生活をつづけていたようだ。

・東北や北海道では、現在も多くの生活跡の「縄文遺跡」が発見されている。

・九州地方で農耕を中心とする「弥生式文化」が始まると、採取狩猟民族の縄文人たちは、弥生人に追われ、北や南に移動する者たちも多かったはずだ。

・一説によれば、弥生文化が日本列島に定着したとき、東北、北海道の縄文人口は、2倍に膨れたという説がある。

・まさに東北と北海道は「縄文アイランド」である。

・しかし北海道にアイヌ民族が定着しはじめた13世紀以降、北海道の先住民の彼ら縄文人は、何らかの理由で消滅したようだ。

・弥生人は、米がとれない北海道には関心を持たなかったので、弥生人の侵略で滅びたわけではないらしい。

・北海道縄文人の末裔(まつえ)が「アイヌ人」であると言う説がある。
・しかし、これは最近の調査で、縄文人の骨格やDNAは、アイヌ人の骨格やDNAとは、全く異なるもので縄文人とアイヌ人は別人であることがわかった。

・北の大地に住んでいた縄文人たちは、どこへ消えたのか、

・北海道のアイヌ人たちは、どこからやってきたのか、

・このことは、教科書にはなにも書かれていない。

・北海道の昔の呼び方は「蝦夷地(えぞち)」や「蝦狄(えみし)」と読んでいた。

・「蝦夷地」とは「異民族の住む地」という意味で、おそらく「アイヌ民族」を指していたと思う。

・明治になって「北海道」という名が付けられた

・『日本書紀』では、北の異民族を現す「狄」の字も使い「蝦狄」と書いて「えみし」と読んだらしいが、蝦夷地以前の古い縄文時代のこの島の呼び名はわからない。

・北海道に住む縄文人たちは、豊かな自然の中で山の幸、海の幸に恵まれて暮らしていたと思われる。

・特に北海道の道央、道南の地域に縄文遺跡が多いため、冬の厳しさを避けるために、この地域を中心に暮らしていたと考えられている。


・昭和50年(1975年)、函館の旧南茅部町で地元の主婦が農作業をしていたところ、畑から人型の焼き物が出土した。これが国宝の中空土偶(ちゅうくうどぐう)」である。

・遺跡の一帯からヒスイの勾玉や漆片などが発見されたため、この遺跡が縄文時代後期(約3200年前)の集団墓であり、当時の祭祀や呪術的な生活文化を知るうえで手がかりとなった土偶である。




・北海道千歳市の「ママチ遺跡」から出土した2300年前の「土製仮面」と黒曜石は、縄文人たちが広い交易のネットワークを持っていたことを示していた。
・出土した黒曜石は、200㎞離れた遠軽町白滝から出土された黒曜石である。

・仮面の男は、この石器をどこかに運ぶ途中で死亡して「ママチ遺跡」の墓に埋葬されたらしい。
・この仮面の男は、黒曜石をどこに運ぼうとしていたのか、

・青森市の「三内丸山」遺跡から、全国から運ばれた貴重な品々が見つかっている。
・白滝の黒曜石や秋田産のアスファルト、岩手産の琥珀、糸魚川のヒスイなどである。
・「三内丸山」遺跡は、5500年前から栄えた集落だが、出土された品々から判断すれば、そこは、一大交易地で栄えていた場所らしい。

・古い太古の昔、縄文人たちは、私たちの想像を超える豊かな文明社会を築いていたと思われる。







・何が言いたいのかと言えば、日本の縄文人たちについて日本人の私は、余りにも知らなすぎていた。

・縄文人というのは、縄目模様の土器を使う人々で、同じ、採取狩猟の石器時代の人々と区別していた。その程度の知識しかなかった。
・まして北海道の先住民族は「アイヌ民族」と思っていた。

・日本列島に1万数千年住んでいた「縄文人」は、間違いなく日本の先住民族である。

・さて、縄文人について、もう少し調べてみよう。


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